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2012/10/30

私の大地

 10月11日、私のもとに来てくれた命が、大地に還ってしまいました。

 フユのときと同じく、私たちといることを選ばずに行ってしまう命を前に
私にはどうすることもできませんでした。

 ああ、行ってしまう。

 そのことがどうしようもなくわかったとき、私が感じたのは怒りでした。

 どうして、私はこの子を救うことができないんだろう。
 どうして、私はもっと自分の体を大事にしなかったんだろう。
 どうして、私は自分の体なのにこの血を止めることができないんだろう。
 どうして、この痛みは、赤ちゃんを迎える陣痛の痛みではないんだろう。
 どうして、どうして、どうして。

 無念さに押しつぶされそうでした。
 怒っても、この子は戻らない。
 自分を責めても、この子は喜ばない。
 そうわかってはいても、自分の感情を止めることはできませんでした。

 少し落ち着いたとき、私はこの子を大地に還してあげようと思いました。
 大地にいてくれたら、「すぐそこにいる」といつでも感じられる。
 キチュア語で、大地は「アルパ」。
 だからアルパと名付けました。
 
 私よりもずっとずっと悲しい思いをしたことがある友達に話したら、
 「実際、よく、『そこにいる』って気がするよ」と言ってくれました。
 
 そうして、今日、久しぶりに畑を散歩しました。
 雨上がりの今日は、何もかもが瑞々しくて、本当に美しかった。
いつも写真を撮っているけれど、この気持ちで、写真を撮りたくて、畑の写真を
撮りました。そうしたら、本当にアルパがここかしこにいると感じずには
いられませんでした。フユも、フクちゃんも、レアちゃんも、エメリーもそこに。
調子の悪かったカメラも、なぜかちゃんと撮ってくれる。
この美しい場所に、アルパがいると思ったら、なんだか元気が出てきました。


















 こういうのって、誰が読んでくれているのかわからない媒体に書くのどうかなぁとも
思うのですが、いろんなことも書くのと書かないのでは全然違う。
言葉にした方が、書かなかったモノ・コトよりも、一色鮮やかに残るのです。
フユのことも、アルパのことも、悲しかったし、誰に知られなくてもよいこと。
でもちゃんと残したい、なかったことにしたくないと思って、書きました。
というか、書かなければ、言葉にしなければ、今を残さなければ、次に行けない。
私は軽くて弱い人間なので、そうしないと進めない。だから書くことにしました。
もちろん全部書ける訳じゃないし、書きたいことを全部表現できる
筆力もないのだけれど。
でも、もし不快な思いをした方がいらっしゃったらごめんなさい。

 11月2日は、カソリックの「万霊節(死者の日)」。いわゆるお盆です。
フユとアルパが私たちに会いに来てくれるはず。


 
 

2 件のコメント:

  1. わかる。実はわたしも兄がいるときがわかるよ。今、来てくれたな、とか、実家には父母を見守り続けていることを感じます。
    悲し過ぎて悔し過ぎて、電車に乗っても街中でもただただ悲しくて涙流しながら歩いた日々も、あれだけ春が待ち遠しかった冬も、死ぬまで決して忘れない、と思いました。
    確かにそこにいる、と思うと元気がでるし、しゃんとしなきゃと、それは八年経った今も思います。

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    1. ごめんなさい、コメントに気がつきませんでした。
      コメントありがとう。
      妊婦さんの20%くらいは流産を経験していて、私の友達の中にも、流産を経験をしている人は何人もいるんだよね。でもみんな強くて、私一人がぎゃあぎゃあ言っている気がして、恥ずかしいのだけれど、書きました。会えなかった赤ちゃんたちはいつもそこにいて、きっと守ってくれている。守ってあげたかったのは私の方だったけれど。
      ムユが私のおなかにきてくれた頃に逝ってしまったお兄さん。空でお元気にしているかしら?

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