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2012/04/03

20年

日本から20年来の友人が、遠いとお〜いエクアドルまで、4歳の息子さんを
連れて遊びに来てくれました。


彼女は高校時代からの親友で、私がアメリカにいるときも、エクアドルに来てからも
会いに来てくれました。だから彼女の来エクアドルは二度目になります。

彼女がパートナーと来てくれたのは、2006年。
私たちがここに引っ越してから4日後です。家の手直しが遅れていて
(土地を購入した時、家はあったものの、ドアなし、窓なし、トイレなし、
流しなしと、要は屋根と壁(しかしブロックを積み上げたのみの状態)しか
なかったので、住める状態にしていました。)引っ越しが押せ押せになっていて、
とにかく引っ越しちゃわないと!と移ったときには、なんと!トイレの
ドアもついてなかったような気が。
そして当時ムユは10ヶ月。
あれからもう6年近く経ちました。

彼女の息子さんの名前は、Chaski。
チャスキとは、インカ帝国時代のコロンビア、エクアドル、ボリビア、ペルー、
アルゼンチン、チリをまたにかけたメッセンジャー、日本で言う「飛脚」と
言われています。しかし「メッセンジャー」というふうに言うものの、
ただのメッセンジャーではなく、むしろ皇帝に使えていた特使や大使という方が
近い感じ。なんせ、幼い頃から鍛えられ、一日150km〜250kmを走破し、皇帝の
メッセージのみならず、海の魚などのアンデスにいる皇帝への捧げものなども運び、
古来の知識も蓄え、戦闘のときには軍を支えた、と言うのですから、なんでも
できちゃうスーパーマンのような存在です。
名付け親は私のパートナーのエクトル。
…と言っても、キチュア語のよさそうな名前を列挙しただけですが。

私が日本に一時帰国したのは、もう5年前。そのときちょうど生まれた
チャスキくんに会っています。あのとき生後二週間くらいだったのかな。
そのチャスキくんと娘たちが一緒に遊ぶ日が来るなんて、涙が出るほど感激です。


↑ポロネギのひげを使って、ヤキソバを作ってくれました。
ネギの香り+コリアンダーの香りのおそば。
ござに、葉っぱのお皿と枝のお箸までそろえてくれて本格的でした。

最初は全く知らない場所に来て戸惑っていたチャスキくん。
そうだよね、知らないところはさみしいし、怖いし、嫌だよね。
遠いところまで大変だったよね。

でも最終的には、遊ぼうとはりきって日本から持って来ていたUNOを
やるのを忘れるほど、うちで走り回り、少しは楽しんでくれたよう。

子どもがいると、オトナは、ゆっくり話せる時間も連続でせいぜい30分くらい。
それでも、会えない時間を埋めるように私たちはひたすらおしゃべり。
近況や愚痴やらいっぱい聞いてもらいました。
やっぱり日本語で、心から信頼できる友達に話せるというのは
本当にありがたかったです。


↑赤道碑にて。
ちょっと寒かった。

本当に遠いところまでありがとう!
夢のような、時間でした。
今度はいつ会えるかな。

チャスキくんが、言っていた、シンケンジャーの「一筆奏上!」が
ずっと耳に残っています(笑)。


2 件のコメント:

  1. すごいね!!!みんな本当に大きくなっちゃって!あっこは元気に帰っていったのかな?今頃はあたらしい職場で頑張ってるだろうね。
    なんか、時の流れをリアルに感じたよ。私もいつか、コドモと行けたらいいのになあ。

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    1. ミナちゃん

      コメント、ありがとう!こっちのブログだと、コメントのお知らせメールがなく…。
      遅くなりましたー。
      ぜひぜひしばちゃん、そうちゃんと、家ができたら遊びにきてほしいわー。
      今豪邸(?!)建設中!!!

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