ひとつとして、毎年春分と秋分にキャンドルナイトを行っています。
キャンドルナイトは、自主停電とも言い、夜の8時から10時まですべての電気機器の
スイッチをオフにして、キャンドルを灯して、心静かに時を過ごす時間のことです。
私はしょっちゅうインタグという、有機コーヒーの生産地や女性グループが手工芸品を
作っている、いわゆる「僻地」によく仕事で行っていました。そこに電気がきたのは、
今から6年ほど前のことでしょうか。それ以前は、電気がないので、いつも懐中電灯は
マスト・アイテムとして常備していましたし(でも今でも街灯などは森にはないので、
マスト・アイテムですが)、電気がないということが頭にこびりついて、ご飯を
作ったり、お風呂に入ったり、何かするのも、明るいうちに、と
けっこうせこせこしたりしていました。でもそのペースになれると、なんでも
明るいうちにやってしまうので、夜、電気の必要性をさほど感じないようになりました。
そして、暗くなったら、キャンドルを灯し、ゆったりと過ごすその時間を
楽しめるようになりました。
電気はそもそもどこから来るのかということを考えると、エクアドルの場合、
その52%が化石燃料(石油、炭素、ガス)、41%が水力、4%が輸入され、その1%が
再生利用可能エネルギーからきています。化石燃料は、元々はシダ植物などの
植物由来ではありますが、私たちが使いやすい形ので生成さされるのに、2億年の時が
かかります。そして一瞬のうちに消費され、有害、無害の物質を大気中に放出します。
様々な説がありますが、それは間違いなく有限であるため、いつなくなるか
わかりません。水力発電も、開発の名の下に、森が伐採され、村々を
水没させなければならないという大きな欠点があります。地方の人の生活をそのように
破壊して、都市部で使われる電気っていったい?また昨今の異常気象で、水量が
安定せず、枯渇問題も考えていく必要があるし、また土砂が堆積していくので、
未来永劫使用可能というわけでもありません。
自然の流れの中に身を置きたいと思って始めたこの生活。電化製品を少しずつ、
たとえば電気シャワーをやめ、トースターをやめ、炊飯器をやめ、そうして
削っていった結果、今、電気を使っているのは、電灯、パソコン、プリンター、
インターネット機器、冷蔵庫、洗濯機、ミキサー、スピーカーになりました。
(でも言うほど少なくない?)
その他、非電化、つまり電気を使わなくても機能するものなども試行錯誤で
手作りしながら、使ったりしています。(あまりに不便すぎて使えないものも
あります…。)
さらに言えば、エクアドルは停電がとても多いです。数年前、水不足で水力発電所の
発電量が落ち、毎日4時間くらいの停電がありました。ラジオや新聞で停電の時間帯を
知らせていましたが、あまり見て(聞いて)いなかったので、必要なときに停電!と
いらいらしていました。それだったら、元々使わない生活の方が、心に平安を
もたらしてくれます。
そんなこんなで、もちろん使わないわけには行きませんが、なんでもかんでも
電化製品という生活にはしたくないという思いがあります。自分の体を使うことに
よって、よりそのプロセスを理解して、大変さを感じて、自分の体を鍛えて、
ありがたみを感じることができると思うのです。そうすれば、人はもっと物を大事に
するし、捨てなくなると思うのです。本当はもっと電気を減らす生活がしたい。
でも、あまり苦行のようになっては、苦しくなってしまうので、例えば洗濯機が
あっても、お水は残り湯を使うとか、洗剤の量を減らすとかしながら、自分の行く道を
模索しています。
そして、昨年の原発事故。原発の存在の意味を考えざるを得ません。
安全と言われて来た原発ですが、でもそうでないことがどうしようもなく
わかってしまったと思います。日々報道されるセシウムが検出される食物のこと、
チェルノブイリのこと、ウランが採掘される世界各地の人々のこと、
福島に住む人々の思い、そうしたことが、すべて原発にNOを指していると思うのです。
前置きが長くなりましたが、だから(?)、3月11日に、キャンドルナイトをしました。
もともと電気の消費量が少ない我が家でキャンドルナイトをしてもあまり
意味ないかもしれないけれど、電気をおとして、キャンドルを灯して、炭をおこして、
バナナとトウモロコシとジャガイモを焼きました。ボランティアさんのリリーも
一緒に、そんなことに想いを馳せながら、暗くて温かい夜を過ごしました。
↑食べかけばかりですが…。(食べる前に撮りゃよかった!)
手作りアヒや手作りマヨネーズとともに。
電気を消して、スローな夜を。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々の日常が戻る日が早くきますよう、お祈りしています。
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