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2012/01/21

10年目

前回ケリーとポールが10年ぶりに会いに来てくれたと書きましたが、
彼らは私がエクアドルに来て、初めてのコタカチ・エコロジー・センターの
ハウスメイトでした。

↑神々の湖クイコチャと母なるコタカチ山をバックに。

スペイン語がとても上手なケリーと、黙々と庭に種を蒔き、
世話をする「ジーザスのような髪型だった」ポール。二人は、
シードセイバーズのメンバーとして、コタカチに来ていました。

一方私は、コタカチ・オルタナティブ・エキスポと、
国際有機フェアトレードコーヒー国際会議をオーガナイズするために、
エクアドルに着いたばかりで、ほとんど知る人もおらず、
スペイン語もあやしいのにも関わらず、あっちこっち奔走していました。
その無理のおかげで、たくさん知り合いは増えたし、自治体や
地域の組織だけではなく、貸しテント屋、ラジオ局、印刷屋、
ホテル、レストラン、バス会社などとの交渉などと交渉することを
通して、スペイン語もエクアドルの国の感じをつかんでいったように
思います。おかげで、エクアドルという国が単なる外国ではなく、
すごく身近な国として私の中にしみ込んでいったのだと思います。

↑オルタナティブ・エキスポの後。今でもお世話になっているカルロスさん(後列右)や中村さん(後列左から三番目)。今も仲のよいソニャも(後列左)。

この10年弱の前半は、ウィンドファームナマケモノ倶楽部、そして
スローウォーターカフェのエクアドルスタッフとして、
主にコーヒーの有機生産者グループ、手工芸品を作る女性グループに
かかわってきました。私の役割は、日本とのフェアトレードを
進めるために、現地の人とコミュニケーションを取って行き、
日本の人々に伝えること。おかげで、現地の人と、表面的でない関係を
個人的にも築くことができました。またその一環で、日本からの
お客様のエコツアーのガイドなどもしてきました。
ツアーというのは、言うなれば、その地域のおいしいとこどりをして、
お見せすること。由里佳と一緒に、企画したツアーは本当にすごく楽しくて、
我ながら、他のどのツアーよりも絶対におもしろいものができたと
自信があって、でも最終的には、ツアーのお客様よりも、私が誰よりも
エクアドルにはまっていきました。

↑バイーア・デ・カラケスのマングローブ林ツアー中。

その間、コタカチ・エコロジー・センターに住んで、いろいろな国からの
いろいろな考えを持つボランティアさんとの出会いがありました。
いろんなことを学んだし、アホなこともやって、本当に毎日が楽しかった。

↑特に仲のよかったのが、右下がドリット、左側にいるのがスコット
(みんな20代後半〜60代でこのとんがり帽子はどうよ…。)

でも2年半も住むと(そんな長い間住むやつは生活的にも、VISA的にも
ありえない)、主のようになってしまいましたが、一番長く、1年半
一緒に暮らしたドイツのドリットが、限界までいたあと帰国してしまうと、
さすがに来ては去って行くボランティアさんたちに取り残されてしまったような、
そしてこんなところで腰を落ち着けて私はこの先どうすんだ的な気持ちに。
そんなときに、私のおなかに娘がやってきました。

そしてさんざん悩んだ挙げ句に、一緒に歩き出すことにしたパートナー、エクトル。
文化的背景の全く違う、おまけに思い込んだらまっしぐらで、我がままな私との
生活は、エクトルにとっても大変だったと思います。最初の頃(いや、今でも?)は
ささいなことでぶつかってばかりでした。
こんな私に辛抱強くつきあってくれて本当に感謝です。


そして生まれたムユ。
キチュア語で「種」を意味するムユと名付けた娘には、
種のように、小さくても芽を出し、花を咲かせ、実をつけてほしい、
種のように、一粒から、たくさん実らせるような生命力を持ってほしい、
そして種を蒔く人になってほしいという思いがありました。
でもそれと同時に、私たちの人生の第二ステージに種を蒔いてくれました。

↑ムユ、2ヶ月。


これからこの国で、生きて行くためには、寝るところと、食べ物を作る場所が必要、
そして私がハッピーでいるためには、自然が豊かな場所で手作りの生活を
していきたいと思い、エクトルと一緒に土地を探し、両親からの助けを借りて、
一から農業を始めて、でも失敗だらけ、お金ばっかりかかって何もかもうまくいかない、
と思いながらも、もうすぐ6年になろうとしています。

↑来たばかりの頃。(弐裸衣くん撮影)

↑とうもろこし、大豆、キヌアを植える私と畑にほっておかれているサチャ。

そしてもう一人の娘サチャを授かりました。豊かさと生命の象徴である「森」と
名付けた娘は、名前通り、生命力たっぷりの子どもに育っていると思います。


今までの人生で今が一番楽しい。
でも、後悔もたくさんあります。
一番大きな後悔は、日本をよく知らないまま飛び出してしまったこと。
それは一生私の心に残ります。また家族も私が日本にいないことに
対して複雑な思いがあると思います。
でも、それでも今ここで生きています。
外国に暮らして、初めて、帰る日までを数えない日々があります。
縁に導かれて、たくさんの人に支えられて、今ここにいます。



みなさん、本当にありがとう。

これからの10年も本当にどうなるかわからないけれど、
とっても楽しみです!

↑たぶんこんな生活を10年後に送っていようとは夢想だにしていない2002年の私。





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